1. 1)小学館(2001):日本国語大辞典,第二版第三巻,666
2. 2)視覚資料としては江戸時代の代表的な庭園集成図ともいえる『都林泉名勝図会』を中心に各種名称図会,また『築山庭作伝』や『余景作り庭の図』などの作庭書関係,風俗図関係を扱った。文字資料は『隔■記』,『无上法院殿御日記』,『東京市史稿』などを庭園の利用の記述が多く見られる日記類を中心に扱った。
3. 3)角川書店(1968):日本絵巻全集,第24巻:年中行事絵巻 図-1は中の闘鶏の様子を描いたものであり,寝殿南庭前に闘鶏場の両側に幄舎が仮設されている。幄舎とは神社境内,寝殿前の南庭などにおいて,儀式の際に参列者を入れるために仮設される工作物で,四周に柱を建て幔幕をもって屋根を覆い,三面を張りめぐらすものである。内裏における紫宸殿や寝殿の南庭は儀式の場という性格から何も存在しない平庭になっており,儀式の際には家臣が立ち並び,儀式に用いられる道具が配置される。幄舎の屋根布は赤.緑.黄.青色の縞柄で非常に色彩豊かであり儀式に彩りを添える役割も果たしている。
4. 4)講談社学術文庫(2000):都林泉名勝図会(下)秋里籬島,32-33
5. 5)『无上法院殿御日記』(以下,『日記』):元禄11年(1698)4月14日条。「<略>けふハ子たちもよほしにて,庭にちゃ屋のていをして,せん水のうへニ床などならへ,おもしろくしつらひ,ちゃ屋の道具ともとりそろへ,めしつかひのものともあそひ人にいてたゝせ,きやうをもよほさるゝ<略>」また,二週間後の26日にも,「<略>夕方く御時分ニ庭に又ちや屋をしつらひ,ゆかなと水のうへにならへ,子たちのものとも色々にいてたちきやうをもよほす子たちのしほらしく申付られなくさめ給ひよろこひあそふ<略>」と,庭に茶屋を設え,水の上に床を並べ,この日も子供達のお付の者たちが変装するといった遊興がなされていた。『无上法院殿御日記』は,後水尾天皇第16皇女,品宮.常子内親王の日記である。自筆本は陽明文庫所蔵,全36冊,原題は「日々記」。東京大学史料編纂所にも写本があるが,本論では陽明文庫所蔵本を用いた。