1. 1) 梅田定宏(2002):「日帰り行楽地」多摩の誕生:郊外行楽地の誕生 多摩市ハイキングと史蹟めぐりの社会史,パルテノン多摩,78-87
2. 2) 「戦時体制の時局下においても,国民による健康増進,精神鍛錬,銃後に 備える体位向上として,スキー場や温泉地,海山,観光地へのハイキン グが大々的に掲げられ遊覧客を誘致」されており(中田武男(1938):風 景地の開發と農山漁村の振興:都市公園 4(2)),雑誌「旅」では,1934 年以降ハイキングの紹介とともに,流行の状況とハイカーへのマナーを 喚起する記事が多く見られる(三島章道(1934):正しいハイキングの心 11(9),茂木愼雄(1941):ハイカーへの抗議(旅行道德再檢討)18(7) など)。
3. 3) 東京市公報:本市推薦の健康路十種 11月28日迄割引切符販売:1938年10月13日付け (1939) 2160-2161
4. 4) 皆方訓久(1997):戦前の東京の風致地区における風致保全実態とその評価:ランドスケープ研究 60(5), 451-454
5. 5) 真田純子(2004): 東京保健道路計画の計画思想に関する研究: ランドスケープ研究,67(5), 423-428